
ワン
ゆっけさん、牛のお医者さんって、実際どんなところがしんどいんですか?

ゆっけ
夜中に呼ばれること、暑さと寒さ、そして蹴られること。この3つが特にきつかったです。
産業動物の記事は「やりがい」の話に寄りがちです。
農家さんに感謝される、命の現場に立ち会える——それも本当のことです。
ただ、それだけを読んで飛び込むと、しんどい部分で驚くことになります。
私は新卒で公務員獣医師になったあと、産業動物臨床(NOSAI)に転職しました。
今回は「辞めたくなった瞬間」を10個集めました。「これは本気でしんどかった」と感じたものだけです。
📌 この記事の結論
- あるあるの正体は業界の構造的な問題
- 体力・人間関係・働き方の3つに分けて10個
- 辛いのは、「あなたの頑張り不足」じゃない
- それでも、この仕事が嫌いだったわけではない
これから挙げる10個は、あなたの頑張り不足ではなく、業界の構造が生んでいるものです。
読みやすいように、体力・人間関係・働き方の3つに分けました。
もう本気で辞めようか迷っている方へ。
この記事は「何がしんどいか」を並べたものです。辞めるかどうかを決めたい方は、下の記事のほうが本題になります。
- NOSAIを辞めたい獣医師へ——5年で辞めた私の判断と、次の選択肢
- 家畜保健衛生所を辞めたい——異動で変わること、変わらないこと
- 公務員獣医師を辞めたい——一度辞めて戻った私が考えた選択肢
しんどさの正体をまず整理したい方は、このまま読み進めてください。

10個のあるあるを、3つのしんどさに分けて見ていきます
体力のしんどさ
あるある①:当直業務が単純にきつい
産業動物臨床の当直体制は、毎日誰かが当直するのが基本。
当直の先生が、17時以降の診療をすべて担当します。
夜中の難産依頼から「これ、呼ばなくてもよくない?」と思うような依頼までさまざま。
朝5時に「牛が死んだから死亡診断書を書いてほしい」と呼ばれることもあります。

ゆっけ
お風呂上がりに「さあ寝るか」と思ったタイミングで電話が鳴ったときの絶望感は、産業動物獣医師なら一度は経験するはず。
しかも当直業務の次の日も通常出勤です。
夜中の難産対応があると、寝不足のまま朝の往診に出るのが日常。
「休めば回復する」レベルじゃなく、慢性的な睡眠不足になっていく。
呼び出しが続くと、体力が戻らないまま次の週に入ります。
あるある②:夏の牛舎は、外より暑い
産業動物臨床は、基本が外仕事です。
牛舎に空調はありません。
夏は、締め切った牛舎の中が外より暑くなります。
扇風機はありますが、それでも暑い。
しかも扇風機の前では細霧(こまかい霧)を飛ばしています。牛を冷やすためです。
牛に補液をしようとしてその前に立つと、全身にかかってびしょ濡れになります。
だから夏は、着替えが必須でした。
いちばんしんどかったのは、炎天下での手術です。
途中で汗をかきすぎて、体中の水分がなくなっていく感覚になりました。
冬は逆です。
往診車に積んである補液のボトルが、凍ります。
手がかじかんで、思うように注射ができない。保定のロープを握ると、手が痛くなる。
ただ、ひとつだけ良いこともあって、直腸検査をしている手だけは暖かいんです。あれは正直うれしかったです。
夏と冬では、同じ牛舎でもまるで違います。

同じ牛舎でも、夏と冬ではまったく別の仕事に感じます
冬は厚着をすれば、なんとかしのげます。
きつかったのは、やっぱり夏でした。
あるある③:きつい・きたない・きけん。牛の臨床は3Kです
牛の臨床は、いわゆる3Kです。きつい、きたない、きけん。
順番に書きます。
きけん——牛に蹴られます。
牛は基本的におとなしい動物です。でも、なかには人が近づくだけで暴れる牛もいます。
直腸検査をしているときに、後ろ足が飛んでくる。膝やおなかに入ると、本当に痛いです。
600キロの動物の蹴りなので、当たりどころによってはその場で仕事になりません。
きたない——牛のうんこが飛んできます。
これは事故ではなく、当たり前に起きることです。身体につくのがデフォルトだと思ってください。
きつい——体力の話は、①と②のとおりです。

ワン
大きなケガをしたことは…?

ゆっけ
運が良かっただけ、という日はあります。除角のときが、いちばんヒヤッとしました。
除角は、牛の角を焼いて処置する作業です。
熱々に熱したコテを角に当てるのですが、そのとき牛が暴れました。
コテが自分に当たりそうになったんです。
あのときは、本当にヒヤッとしました。
痛いのもですが、そのあと「また蹴られるかも」と身構えながら診るのが、じわじわ効いてきます。
あるある④:手術が重なった日は、一気に消耗する
牛の臨床でいちばんメジャーな手術が、第四胃変位です。
牛の第四胃がねじれたり、位置がずれたりする病気で、おなかを開けて戻します。
早ければ、準備から終了まで1時間ほど。
診療件数は、朝の時点で割り振られます。
手術を1件終えて、ようやく次の往診先へ向かう。
そこで聴診器を当てると——ピング音(金属をはじくような音)が聞こえます。
「あ、またか」と思う瞬間です。
手術にするか、いったん内科で診るか。農家さんと相談します。
ただ、農家さんの本音としては早く手術してほしい。だいたいは外科手術になります。
こちらとしては内科でごまかして、手術の件数を減らしたいのですが。
1日に2回の開腹手術が入った日は、体力も気力も削られます。
しかも、その分だけ残りの往診が後ろにずれていく。

手術が1件増えるだけで、その日の予定はまるごと後ろにずれます
終わるころには、外が暗くなっています。
人間関係のしんどさ
あるある⑤:クセ強農家さんに当たると、本気で疲弊する
農家さんは基本的に良い人が多いですが、中にはとんでもない人もいるのが現実です。
獣医師の扱いが雑。
「早く来い」と急かす、「この種は高いから絶対受胎させてよ」とプレッシャーをかける。
治療がうまくいかないと罵倒してくる——こういう方です。
雑に扱ってくる農家さんのところに往診に行くのは、正直テンションが下がります。
でも獣医師には応召の義務があるので、診療を断れない。
私の体感では、若手獣医師が産業動物臨床を辞める理由はこれが一番多い。
フォローしておくと、最近は産業動物の獣医師が減ってきています。
農家さん側も「獣医師を大事にしないとマズい」という危機感を持つようになり、クセ強農家さんは減少傾向。
獣医師の立場が、少しずつ強くなってきている感覚はあります。
あるある⑥:診療所の先生と、診療方針が合わない
同じ診療所でも、先生によってやり方は違います。
2年目のころ、臍膿瘍(さいのうよう)の子牛を診たことがあります。
エコーで膿を確認して、切開して、洗浄して、消毒しました。
子牛は、その場でよくなりました。
でも、ある先生からはこう言われました。
「もし出血が止まらなくなって、死んだらどうするんだ」
私は言い返しませんでした。
相手は経験がずっと豊富で、こちらは2年目です。
反論しても、関係が悪くなるだけだと思ったからです。

ワン
納得したわけじゃないんですね。

ゆっけ
違います。黙っただけです。
このとき助けられたのは、別の先生が「お前の処置は正しい」と言ってくれたことでした。
ちなみにその子牛は、膿瘍のあとが分からないくらい元気に育ちました。
少人数の診療所では、合わない人とも毎日顔を合わせます。
部署を移って距離を取る、ということができません。
働き方と待遇のしんどさ
あるある⑦:給料が思ったより低い
私はNOSAIで働いていました。
NOSAIの給与体系は公務員に準拠しているので、正直なところ公務員獣医師と給与はあまり変わりません。
それどころか食肉衛生検査所や家畜保健衛生所の獣医師より給料が低いという現実も。
体も心も削って、当直までこなしている。
なのに給与は事務系の公務員獣医師と変わらないか、下回る——これはちょっとテンションが下がります。
「産業動物臨床は給与がいい」というイメージを持つ人もいますが、実際は職場(NOSAI・JA・民間診療所など)によって大きく違います。
少なくともNOSAI勤務は、給与面で過剰な期待をしないほうがいい、というのが本音です。
あるある⑧:突発的な休みが取りづらい
産業動物臨床はシフト制で完全に勤務日が決まっているのが特徴です。
自分が休むと本来休みだった他の獣医師が出勤することになり、申し訳が立たない。
結果、体調を崩しても無理して出勤する——という構造です。
実体験を1つ。
ある日、高熱が出ていたのに休めず診療に行ったことがあります。
意識がぼーっとしたまま、農家さんのところに到着。
診療を始めようとした瞬間、農場に出っ張っていた金属に往診車をぶつけて、窓ガラスを割る事故を起こしました。
幸いケガはなかったのですが、後から考えるとゾッとします。
休みにくいせいで、自分も農家さんも危険にさらしていたわけです。
子育て世代にとっては、これが致命的です。
「子どもの急な発熱に対応できない」という理由で公務員や企業に転職する人を、周りでも何人も見てきました。
あるある⑨:長期的な休みも取りづらい
産業動物臨床は、生き物相手なので365日診療業務があるのが宿命。
年末年始やお盆も、シフトで出勤します。

ゆっけ
私が一番しんどかったのは年末年始で、下っ端の頃は正月勤務になることがよくありました。
家族みんなで実家に帰ってゆっくり過ごす——そんな普通のことがなかなかできない。
一人で迎える正月の寂しさは、産業動物獣医師あるあるのひとつです。
ただフォローしておくと、正月勤務でも悪いことばかりじゃありません。
往診先の農家さんのところで一緒にお雑煮を食べさせてもらったこともあって、「これはこれで悪くないな」と思った瞬間も。
農家さんとの距離が近いからこその、温かい思い出も作れます。
とはいえ毎年続くと「家族と過ごしたい」気持ちが勝ってくるのも事実。
長期休みが取れないのは、ライフイベントが重なる年代になるとボディブローのように効いてきます。
あるある⑩:月末の薬の棚卸しが、憂うつ
月末になると、薬の棚卸しがあります。
持ち出した数と使用実績を突き合わせて、在庫を確認する作業です。
これが、なかなか合いません。
カルテへの薬品の記入漏れ。往診車の在庫のカウント違い。
原因を探しているうちに、どんどん時間が過ぎていきます。

ゆっけ
私は診療所の若手だったので、月末が近づくと「また薬を数えるのか」と憂うつでした。
診療の話ではありませんが、毎月必ず来るのがつらいところです。
10個に共通していること
ここまでの10個には、共通点があります。
どれも個人の頑張りでは解決しにくい、業界全体の構造的な問題です。
つらいのは、あなたの頑張りが足りないからではありません。
| あるある | 背景にあるもの |
|---|---|
| 当直・手術の重なり | 少人数で広いエリアをカバーする仕組み |
| 夏と冬のきつさ・蹴られる | 屋外で大動物を扱う仕事の性質 |
| クセ強農家さん | 応召義務があり、相手を選べない |
| 先生との方針の違い | 少人数の職場で、逃げ場がない |
| 給料 | NOSAI・産業動物全体の給与水準 |
| 休みの取りにくさ | シフト制・365日診療 |
| 薬の棚卸し | 診療以外の事務を、現場が兼ねる体制 |

ゆっけ
だからこそ「自分が悪いわけじゃない」「自分の頑張り不足じゃない」と思ってほしいんです。
産業動物臨床で辛いと感じるのは、ある意味正常な反応です。
本気で「辞めたい」と考えているなら、実際に5年で辞めた私の判断と、その後の行き先をこちらに書きました。
それでも、この仕事が嫌いだったわけではありません
10個も並べたので、ひどい仕事のように見えたかもしれません。
でも私は、産業動物臨床が嫌いではありませんでした。
治療した牛が良くなって、農家さんが「あの牛、また乳量戻ったよ」と教えてくれたこと。
難産で分娩させた子牛が、生きてくれたこと。
その瞬間は、どれもはっきり覚えています。

ゆっけ
しんどい場面と、うれしい場面は同じ現場で起きます。夜中に呼び出された先で、子牛が生きてくれる。そういう仕事です。
「よかったこと」のほうは、こちらにまとめました。

それでも限界なら、道はほかにもあります

ゆっけ
獣医師としてのキャリアは、産業動物だけじゃありません。
私自身、産業動物臨床を経験したあとに公務員獣医師(家畜保健衛生所)に再び戻り、今は別の畜産関係の仕事をしています。
産業動物臨床のしんどさを感じている方には、こんな選択肢があります。
- 公務員獣医師(家畜保健衛生所・食肉衛生検査所など) → 当直なし・休みやすい・給与は産業動物と同等以上
- 小動物臨床 → 産業動物とは違う世界だが、シフトや休みの取り方が違う
- 製薬会社・畜産関連企業 → 完全土日休み・年末年始もしっかり休める
実際の1日の流れは、こちらに時系列でまとめています。

「産業動物臨床しか道がない」と思い詰める前に、ぜひ他の選択肢も知ってみてください。




